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最高裁判所第一小法廷 昭和52年(あ)1353号 決定

主文

本件上告を棄却する。

理由

(上告趣意に対する判断)

検察官の上告趣意第一点は、違憲をいうが、原判決が憲法一四条一項を解釈適用していると認めることはできないから、所論は前提を欠き、刑訴法四〇五条の上告理由にあたらない。同第二点のうち、当裁判所昭和二六年(れ)第五四四号同年九月一四日第二小法廷判決・刑集五巻一〇号一九三三頁、同二八年(あ)第三二一号同二九年六月二二日第三小法廷判決・刑事裁判集九六号三九七頁、同三三年(あ)第二四三七号同三四年三月二七日第二小法廷判決・刑事裁判集一二九号四五五頁についての判例違反をいう点は、右各判決は憲法一四条一項の解釈適用に関するものであるところ、原判決が憲法一四条一項の解釈適用をしているものでないことは前記のとおりであるから、判例違反を論ずる余地がなく、また、当裁判所昭和二四年(れ)第一八一九号同年一二月一〇日第二小法廷判決・刑集三巻一二号一九三三頁及び引用の各高等裁判所判決(ただし、東京高等裁判所昭和四七年(う)第二三二一号同五二年八月一日判決を除く。右判決は、原判決宣告後のものであるから、刑訴法四〇五条三号の判例ということはできない。)は、いずれも判文の全趣旨に照らすと、所論のように訴追裁量の逸脱ないし濫用の有無はすべて公訴提起の効力に影響を及ぼさない旨を判示していると解することはできないから、所論は前提を欠き、適法な上告理由にあたらない。同第三点は、憲法違反をいう点を含めて、その実質はすべて事実誤認、単なる法令違反の主張であつて、適法な上告理由にあたらない。

(職権による判断)

所論にかんがみ、刑訴法四一一条を適用すべきかどうかについて判断する。

一検察官は、現行法制の下では、公訴の提起をするかしないかについて広範な裁量権を認められているのであつて、公訴の提起が検察官の裁量権の逸脱によるものであつたからといつて直ちに無効となるものでないことは明らかである。たしかに、右裁量権の行使については種々の考慮事項が刑訴法に列挙されていること(刑訴法二四八条)、検察官は公益の代表者として公訴権を行使すべきものとされていること(検察庁法四条)、さらに、刑訴法上の権限は公共の福祉の維持と個人の基本的人権の保障とを全うしつつ誠実にこれを行使すべく濫用にわたつてはならないものとされていること(刑訴法一条、刑訴規則一条二項)などを総合して考えると、検察官の裁量権の逸脱が公訴の提起を無効ならしめる場合のありうることを否定することはできないが、それはたとえば公訴の提起自体が職務犯罪を構成するような極限的な場合に限られるものというべきである。

二いま本件についてみるのに、原判決の認定によれば、本件犯罪事実の違法性及び有責性の評価については被告人に有利に参酌されるべき幾多の事情が存在することが認められるが、犯行そのものの態様はかならずしも軽微なものとはいえないのであつて、当然に検察官の本件公訴提起を不当とすることはできない。本件公訴提起の相当性について疑いをさしはさましめるのは、むしろ、水俣病公害を惹起したとされるチッソ株式会社の側と被告人を含む患者側との相互のあいだに発生した種々の違法行為につき、警察・検察当局による捜査権ないし公訴権の発動の状況に不公平があつたとされる点にあるであろう。原判決も、また、この点を重視しているものと考えられる。しかし、すくなくとも公訴権の発動については、犯罪の軽重のみならず、犯人の一身上の事情、犯罪の情状及び犯罪後の情況等をも考慮しなければならないことは刑訴法二四八条の規定の示すとおりであつて、起訴又は不起訴処分の当不当は、犯罪事実の外面だけによつては断定することができないのである。このような見地からするとき、審判の対象とされていない他の被疑事件についての公訴権の発動の当否を軽々に論定することは許されないのであり、他の被疑事件についての公訴権の発動の状況との対比などを理由にして本件公訴提起が著しく不当であつたとする原審の認定判断は、ただちに肯認することができない。まして、本件の事態が公訴提起の無効を結果するような極限的な場合にあたるものとは、原審の認定及び記録に照らしても、とうてい考えられないのである。したがつて、本件公訴を棄却すべきものとした原審の判断は失当であつて、その違法が判決に影響を及ぼすことは明らかである。

三しかしながら、本件については第一審が罰金五万円、一年間刑の執行猶予の判決を言い渡し、これに対して検察官からの控訴の申立はなく、被告人からの控訴に基づき原判決が公訴を棄却したものであるところ、記録に現われた本件のきわめて特異な背景事情に加えて、犯行から今日まですでに長期間が経過し、その間、被告人を含む患者らとチッソ株式会社との間に水俣病被害の補償について全面的な協定が成立して双方の間の紛争は終了し、本件の被害者らにおいても今なお処罰を求める意思を有しているとは思われないこと、また、被告人が右公害によつて父親を失い自らも健康を損なう結果を被つていることなどをかれこれ考え合わせると、原判決を破棄して第一審判決の執行猶予付きの罰金刑を復活させなければ著しく正義に反することになるとは考えられず、いまだ刑訴法四一一条を適用すべきものとは認められない。

よつて、同法四一四条、三八六条一項三号により主文のとおり決定する。

この決定は、裁判官藤崎萬里、同本山亨の反対意見があるほか、裁判官全員一致の意見によるものである。

裁判官藤崎萬里の反対意見は、次のとおりである。

本件においては公訴権の濫用というが如きことはなく、したがつて本件公訴を棄却すべきものとした原判断は失当であるとすることについては、私ももとより異論はない。私が多数意見と見解を異にするのは、それからさきの論点についてである。すなわち、多数意見は、右のような原判断の違法が判決に影響を及ぼすことは明らかであるとしながら、諸般の事情を考慮すると、原判決を破棄しなければ著しく正義に反するとまでは認められないから、本件は刑訴法四一一条を適用すべき場合にはあたらないとして、上告棄却の結論に到達しているが、私はこの結論に賛同することができない。

およそ公訴の提起そのものを訴追裁量の誤りを理由に無効と評価して公訴を棄却することは、軽々に行われるべきことではないから、公訴を棄却すべき理由がないのにこれを棄却するという誤りの重大であることは、いうをまたない。このような原判決の違法は、それだけで当然に、原判決を破棄しなければ著しく正義に反するとすべき十分な理由たりうるものと考える。

本件の場合は、水俣病公害という非常に深刻な背景事情があるわけであるが、第一審がこれを十分に考慮に入れたことは、執行猶予つきの罰金刑という特異な科刑をしたことにも明らかにうかがわれる。本件公訴を有効とする以上は、この程度の名目的な刑であつてもこれを科して被告人の責任を明らかにするのが正義の要求するところであると思う。本件公訴を棄却すべきものとした原判断は誤つていると宣明しても――それはそれとして重要な意味があることを否定するものではないが――、結局において上告を棄却して原判決を維持することは、すなわち公訴棄却の原判決を確定させることにほかならない。こうして被告人を訴訟手続から解放することは、本件のような場合における暴力の行使を容認するものなるやに誤解されるおそれなしとせず、私のとうてい賛同することのできないところである。

以上の次第で、私は原判決を破棄すべきものと考える。

裁判官本山亨の反対意見は、次のとおりである。

原判決は、いわゆる公訴権濫用の法理を肯定し、検察官のした公訴の提起が訴追裁量を著しく逸脱したものである場合には、裁判所は公訴の提起を無効としてこれを棄却することができるとしたうえ、本件公訴の提起はこのような場合に該当するものとして、公訴を棄却する旨の判決を言い渡している。しかしながら、公訴の提起にあたつての検察官の訴追裁量の当否を、裁判所が審査し、その結果いかんによつて公訴を棄却するということを予定した刑訴法規は存在しないばかりでなく、刑事事件について公訴を提起するか否かは国の刑事政策の統一的な実現に重要な影響を及ぼすものとして、刑事訴追の権限を検察官一体の原則の下にある個々の検察官の専権に属せしめている刑事司法の基本構造などを考えると、公訴の提起は、それが手続法規に従つて適法、適式にされた以上、つねに有効であつて、裁判所は、訴訟条件が具備している限り、実体的裁判をすべきであり、これを回避してはならないものと解すべきである。多数意見は、公訴権濫用の法理を、そのいわゆる極限的な場合に限つてこれを肯定すべきであるとするが、私には、極限的な場合とは一体いかなる事態をさすのか必ずしも明らかでないと思われるし、また、そのような概念を設定してまでこの法理を認めるべき必要性があるのか、理解しがたいのである。もちろん、私としても、検察官がその裁量権の行使を誤つて客観的に著しく不当な公訴の提起をすることのありうることを否定するものではない。しかし、そのような事態は、公訴の取消の制度(刑訴法二五七条)の活用によつて、検察官自身をして是正させるのが現行法の建前であるし、将来の方向としては、宣告猶予制度などを創設する立法的解決にまつべきものであろうと考える。

原判決は、現行法上認められていない公訴権濫用の法理を肯定して、不法に本件公訴を棄却する誤りを犯したものであるから、その誤りは判決に影響を及ぼし、これを破棄しなければ著しく正義に反するものであり、刑訴法四一一条一号により原判決を破棄すべきものである。

(藤﨑萬里 団藤重光 本山亨 中村治朗 谷口正孝)

検察官の上告趣意

第一 序説

一 一審判決の認定した本件犯行に至る経緯及び罪となるべき事実

(本件犯行に至る経緯)

被告人は、いわゆる水俣病患者であるが、水俣市におけるチッソ株式会社との補償交渉が進捗しなかつたため、東京都千代田区丸の内二丁目七番三号にある東京ビル内のチッソ株式会社東京本社において、同社代表取締役社長島田賢一と直接面接して補償交渉を進めることとし、昭和四六年一二月六日他の水俣病患者及びその家族数名とともに上京し、同月七日及び八日の両日、右本社において、両者の間で直接の交渉がなされた。しかし双方の主張が並行線をたどり、また、八日の交渉は、長時間にわたつたため、島田社長の血圧上昇と疲労とにより、交渉継続は困難な事態となり、右交渉は中断された。被告人らは、その後も引き続き、島田社長と面接し直接の話合いにより交渉をまとめようと考え、本社内に居座つていたが、同月一〇日、水俣病患者支援の者が警察官によつて本社外へ排除され、同月二四日には、水俣病患者である被告人及び佐藤武春並びに付添人である石牟礼道子も、会社の従業員の手で、右東京ビルの外へ排除されるにいたつた。被告人は、なおも自主交渉の初志を貫徹すべく翌二五日からは東京ビル玄関前で坐込みをはじめ、同月二七日には、支援者の援助で東京ビル前路上にテントを設け、これを拠点として、他の患者及び支援者とともに島田社長との面会を求めて度々本社に赴いていた。会社は、被告人らの右のような行動に対抗して、同社の従業員及び子会社であるチッソ石油化学株式会社五井工場の従業員を動員して、本社入口附近にピケを張り、あるいは、昭和四七年一月一一日には、東京ビル内四階の本社に通ずる通路に鉄格子を設けるなどして、被告人らの要求を拒絶し続けていた。その結果、被告人らが島田社長との面接を求めて本社に赴くと、これを阻止せんとする会社側従業員と衝突し、こぜりあいの生ずることも屡々であつた。

(罪となるべき事実)

右のような状況の下で、

被告人は、

第一 昭和四七年七月一九日午前八時五〇分ころ、前記東京ビル内北側四階踊り場附近において、チッソ石油化学株式会社従業員坂内信(当時二九年)に対し、その右上腕部に咬みつき、左足を引張り、手拳で腹部を殴打するなどの暴行を加え、よつて、同人に全治まで約二週間を要する右上腕部咬傷の傷害を負わせ

第二 昭和四七年七月二〇日午前八時二〇分ころ、前記東京ビル内五階から六階にいたる北側階段踊り場附近において、前記会社従業員下田義孝(当時二八年)に対し、その左大腿部に咬みつき、手拳で顔面を殴打し、顔面・頭部を壁に打ちつけるなどの暴行を加え、よつて同人に全治まで約一週間を要する左大腿部咬傷・左顔面打撲傷などの傷害を負わせ

第三 昭和四七年七月二一日午前八時五分ころ、前記東京ビル内四階から五階にいたる北側階段踊り場附近において、前記会社従業員中村和昭(当時二九年)に対し、二回にわたりその左前腕部に咬みつく暴行を加え、よつて同人に全治まで約二週間を要する左前腕部咬傷の傷害を負わせ

第四 昭和四七年七月二一日午前八時一五分ころ、前記東京ビル内北側階段四階踊り場附近において、チッソ株式会社取締役人事部長河島庸也(当時四八年)に対し、副木一木(昭和四八年押第二〇二八号の一)をもつてその頭部を殴打する暴行を加え、よつて、同人に加療約二週間を要する後頭部打撲傷の傷害を負わせ

第五 昭和四七年一〇月二五日午後七時五分ころ、前記東京ビル内四階廊下において、右河島庸也に対し、手拳でその顔面を殴打する暴行を加え、よつて、同人に加療約一〇日間を要する口唇部挫創の傷害を負わせたものである。

二 原判決の骨子とその論理構造

1 原判決は、弁護人の控訴趣意のうち事実誤認の主張をすべて排斥し、前記一審判決の事実認定に誤りはないとしながら、控訴趣意中の公訴権濫用を理由とする公訴棄却の主張を認容し、本件公訴の提起は訴追裁量の濫用に当たる事案であるとの理由で、有罪の言渡しをした一審判決を破棄した上、本件公訴を棄却した。

原判決の理由は、極めて長文かつ詳細であるにもかかわらず、本件公訴の提起が公訴権濫用に該当し刑事訴訟法二四八条に違反するがゆえに無効であるとの結論に至る思考過程ないし論理の運びの点で判然としない部分が多々あるが、その骨子と論理の構造をごくかいつまんで要約するならば、おおむね次の趣旨に帰すると解される。

2 原判決は、まず、いわゆる公訴権濫用論に関し、ほぼ次のような一般的な法理論を展開している。

① 公訴の提起は検察官の専権に属し、しかも起訴・不起訴の権限行使については刑事訴訟法二四八条により相当広範囲の裁量が予定されているとはいえ、裁量による権限の行使である以上、その濫用はあり得る。

② 検察官の右の権限の濫用がはなはだしく、特に不当な起訴処分によつて被告人の法の下の平等の権利その他の基本的人権を侵害し、これを是正しなければ著しく正義に反するときは、裁判所は、当該裁判手続内において司法による救済を図るのが妥当である。

③ 公訴権濫用の問題は、刑事司法に内在し、裁判所の権限に属する判断事項というべきで、このことは、検察官の処分も憲法八一条の「処分」に該当し、司法による審査、抑制の対象となると解されることからも肯定される。

④ 公訴権濫用に対する救済の方法は、訴追裁量の著しい逸脱は刑事訴訟法二四八条に違反するものであり、特に差別的な起訴は憲法一四条一項の平等保護条項に違背するから、刑事訴訟法三三八条四号にいう公訴提起の手続の規定に違反したものとして、同条による公訴棄却の判決がなされるべきものと考える。

3 次いで、原判決は、一般的に公訴権濫用が問題とされる(1)客観的嫌疑なき起訴、(2)訴追裁量を逸脱した起訴、(3)違法捜査に基づく起訴の三者のうち、本件は(2)が問題になる場合であるとの前提に立つた上、

⑤ 本件で特有なことは、憲法一四条一項の平等保護条項を根拠にして比較すべき差別の問題が、同種他事件あるいは同一事件内の被疑者相互の比較というのではなく、公害を契機に対立する当事者、すなわち、公害のいわば加害者側と被害者側との間の取扱い上の差別ということであり、本件の場合は、このように比較の対象が対向関係にあるので、平面的、微視的な観察では足りず、立体的、巨視的な観点に立つて比較衡量することを要するとし、

⑥ 公訴権濫用の主観的な要件としては、権利濫用の一般原則に照らし、検察官の故意又は重大な過失という主観的要素が必要ではあるが、客観的外部的事実に照らし、公訴提起の偏ぱ性が合理的裁量基準を超え、しかもその程度が憲法上の平等の原則に抵触する程度に達していると判断される場合には、事実上の推定に基づき、検察官の故意又は重大な過失の存在が証明されたといつて妨げないとする。

右の⑤及び⑥の判示は、本件につき公訴権濫用ありとの結論を導き出すための伏線と認められるし、端的にいえば、まず、はじめに公訴権濫用を理由とする公訴棄却の結論を先取りした上、この結論と前記①ないし④の一般論とを結びつけるためにことさらに定立した牽強付会の理由づけとも推察され、その意味で特に注目すべきものである。

4 更に、原判決は、右の①ないし⑥のとおりの見解を前提にして、本件の背景的事情等につき大要次のとおり判示し、短絡的に公訴権濫用を理由とする公訴棄却の結論を導き出したのである。

⑦ 水俣病という悲惨な結果を伴う公害についての対立する両当事者間の著しい不平等な取扱いは、公訴提起の適否を審査すべき裁判所にとつても無視できないことであつて、水俣病の医学的原因究明の過程、補償交渉の経過、政府機関の対応の仕方などを追つて見ると、行政、検察当局の態度は会社側に寛大で、患者側に著しく厳しく、その間には法の下の平等の原則からみて無視できない差がある。

⑧ このように本件事件をみてくると、被告人に対する訴追はいかにも偏ぱ、不公平であり、これを是認することは法的正義に著しく反する。

⑨ 本件の背景をなすもろもろの事実関係、すなわち、重大かつ広範囲な被害を生ぜしめたチッソの責任につき国家機関による追求の懈怠と遅延、これにひきかえ、被害者側の比較的軽微な刑責追及の迅速さ、これに加えてチッソ従業員の行為に対する不起訴処分等の諸事実がある以上、当裁判所としては、国家機関の一翼を担つている検察官の故意又は重大な過失が推認されてもやむを得ないと判断する。

⑩ 本件は、訴追することによつて国家が加害会社に加担するという誤りをおかすもので、法の下の平等を保障した憲法一四条一項に違背し、訴追裁量の濫用に当たる事案である。したがつて、本件公訴提起の手続きは刑事訴訟法二四八条の規定に違反し無効であるから、同法三三八条四号によりこれを棄却すべきものである。

三 原判決の問題点と上告申立の趣旨

1 問題の所在

まず、はじめに、いわゆる公害に当たる事象が発生した場合に、関係行政機関等によりその原因の究明、公害源に対する法的責任の追及、被害者の救済等についての適切かつ万全の措置が速やかにとられることを切望する点において、検察官も決して人後に落ちるものでないことを申し述べておきたい。しかしながら、本件で問われているのは、いわゆるチッソ水俣病をめぐる右の諸点のあり方ないしその当否の問題ではなく、被告人が犯したとして公訴提起の対象とされている五個の傷害の訴因についての被告人の刑責の有無の問題であるということである。

原判決は、一審判決と同様に、右の五個の傷害の訴因につき被告人の犯行を肯定しているのであるから、当然に有罪の判断をなすべき筋合いのものであつた。それにもかかわらず、原判決があえて実体的裁判を拒否し、安易に公訴権濫用を理由として本件公訴を棄却したのは、まず、その発想の出発点において、右に指摘した二つの問題を混同するという重大な基本的視点における誤りをおかしたことに由来する。そればかりでなく、原判決は、その方法論においても、本件公訴提起の効力判断の前提とすべき法理論において、憲法一四条一項の解釈等に関し誤つた独自の見解に依拠するとともに、右の効力判断の前提となるべき背景的事実の認定並びに当該事実及び被告人の本件犯行に対する評価の面においても重大な誤りをおかしたがために、右のような誤つた結論に到達したものとみるほかはない。

以下、2及び3において、原判決におけるこれらの誤りの要点を摘記した上、「第二上告理由」において、刑事訴訟法所定の上告理由等の順序に従い、その具体的内容を論述することにする。

2 原判決における基本的視点の誤り

さきに述べた原判決における基本的視点の誤りとして、次の二つの点をあげておかなければならない。

その第一点は、被告人の本件各犯行についての刑事責任の有無という問題とチッソ株式会社の水俣病公害に関する法的・道義的責任、右公害をめぐる国の関係行政機関等の行政責任、行政措置のあり方という問題とは、全く次元を異にする、しかも異質の二つの問題であつて、およそ法的評価の上で、同一次元ないし同一平面で論ずることはできないものであるのに、原判決は、恣意的にも「立体的、巨視的な観点」の名の下に、あえて右の二つの問題を刑事責任の有無を決する刑事手続の下で同一次元・同一平面でとらえた上、両者を比較衡量したことにある。

その第二点は、右の第一点と表裏の関係にある実質的な点であるが、右のような「立体的、巨視的な観点」に立脚した考察を遂げたことにより、右公害の被害者側に属する者は、公害の被害者であるが故に、多数回にわたり傷害の所為に及んでもその目的が会社幹部との交渉のための面接要求に出たものである限り刑事免責の特権を獲得し、一方チッソ株式会社及びその子会社の従業員は、みずからは公害の醸成・発生につきなんらの責任をも有しないにもかかわらず、ただ右各加害企業に雇用されているというだけの理由で、刑法上の保護の埓外に置かれ、本件のごとき傷害の被害をも受忍せざるを得ない、という事態を法的に保証したことにある。このような結果が、個人の基本的人権を最大限に尊重していかなる暴力をも否定するとともに、法の支配ないし法治国主義を基本原理の一つとする日本国憲法の理念・精神と相容れないものであることは、多言を要しないところである。

3 原判決における方法論の誤り

(一) 法理論の誤り

原判決が本件公訴提起の効力を判断するに当たり、その前提として採用したと認められる法理論には、次のとおりの誤りがある。

その一は、原判決は検察官の訴追裁量の当否につき裁判所が審査の権限を有し、しかも訴追裁量の逸脱は公訴棄却という訴訟法的効果に結び付くという明らかに誤つた見解をとつていることである。およそ、公訴の提起は、それが手続規定に従い適法・適式になされている限り法律上は常に有効であつて、裁判所は訴訟条件を具備する限り実体的審判をなすべき責務を負うことは、刑事訴訟法の関係規定に照らし明らかである。そして、このことは次に述べるとおり憲法上の三権分立の趣旨からみても、また、手続法と実体法とを区別する基本的な考え方からしても、実質的にその正当性が裏づけられるのである。すなわち、もともと、国の統一的な刑事政策実現の一環としてなされる公訴提起に当たつての訴追裁量の当否を審査することは、個々の裁判所(それぞれの良心に従い独立してその職権を行い、憲法及び法律にのみ拘束される裁判官によつて構成される。)が全く独立して公訴提起にかかる当該事件についてのみ判断を下すことを使命とする裁判の機能・役割とは本質的に相容れず、ひいては憲法の定める三権分立の趣旨にももとることになるのであるし、また、公訴提起にかかる事件について十分な犯罪の嫌疑が認められる以上、事件の軽微性など訴追裁量の当否判断に当たり考慮されるべき諸事情は、いずれも事件の実体に関するものであり、法律的にはあるいは違法性の問題としてあるいは情状の問題として本来実体法の分野で処理されるべきものであるので、訴追裁量の逸脱を公訴棄却という訴訟法的効果に結び付けるのは、もともと事件の実体にかかる実体法上の問題を無理に訴訟条件ないし訴訟障害といつた訴訟法上の事由として位置づけるところに、根本的な理論的矛盾が存在するのである(以上の点につき、「第二上告理由」のうち、第一点一、第二点、第三点一)。

その二は、原判決は、訴追裁量の当否は憲法一四条一項の問題となり、差別的な起訴は同条項に違反するものとして公訴棄却という法的効果を生ずるとの見解をとつているが、この見解は明らかに同条項の解釈を誤つたものであつて、この問題に関する従来の最高裁判所ないし高等裁判所の各判例とも相反するものであるということである(以上の点につき、「第二上告理由」のうち、第二点)。

その三は、純粋に観念的には、訴追裁量の当否も、あるいは憲法の右条項の問題になり得ると解するにせよ、現行の法体制の下では、訴追裁量の当否の判断は裁判機能の枠を超えるものであるにもかかわらず、それをあえてした誤りである。なんとなれば、検察官の極めて広範な裁量にかかる公訴提起の性質にかんがみ、訴追裁量の逸脱が憲法の右条項に違反すると断定するためには、例えば、公訴提起にかかる当該具体的事件を同種・類似の他の事件多数との比較において、起訴状に訴因として掲げられている公訴犯罪事実それ自体の軽重の形式的な比較にとどまらず、刑事訴訟法二四八条所定の諸般の情状全般にわたり詳密な審査が行われなければならないことは当然であるが、かかる審査は、憲法及び刑事訴訟法が予定する刑事司法の中での裁判の機能・役割を超えるものであるからである(以上の点につき、「第二上告理由」のうち、第一点二3、第三点一、二)。

その四は、原判決は、被告人に対する本件起訴のごときも憲法一四条一項の保障の範囲内の問題であるとの見解をとつているが、これは同条項の保障の範囲を不当に拡大して適用した点において、明らかに誤りであるということである。もともと、同条項は、人格の価値がすべての人間について平等であり、したがつて人種・信条・性別・社会的身分・門地等の差異に基づいて、あるいは特権を有し、あるいは特別に不利益な待遇を与えられてはならないという大原則を示したものにほかならないところ、本件は、被告人が右各事項、すなわち、人種・信条・性別・社会的身分又は門地ないしこれに類する事項の差異を理由に差別的に起訴された事案でないことは明白であるからである(以上の点につき、「第二上告理由」のうち、第一点二1)。

(二) 評価の方法の誤り

原判決が本件公訴提起の効力を判断するにあたり、法的評価の方法の点で、本来比較衡量の対象とすべからざる二つの問題を同一平面で対置した点において決定的な誤りをおかしたことは、前述のとおりであるが、そのほか、個別的な評価の方法の面でも、次の二点において重大な誤りをあえて行つている。

その一は、本件公訴提起の対象とされ、原判決も第一審判決と同様に訴因どおりの認定をした被告人の本件各犯行は、その動機・目的を十分に考慮に入れても決して軽微なものではなく、違法性及び有責性もかなり重いものであるにもかかわらず、これを過小評価した誤りである(以上の点につき、「第二上告理由」のうち第三点一4)。

その二は、チッソ水俣病の原因究明、チッソ側に対する法的責任の追及、被害者の救済等につき検察当局を含む国の関係行政機関がとつた対処の姿勢、具体的措置等に関し、原判決は厳格な証明に基づくことなく、自由な証明で、しかも断片的な証拠により、ほしいままに間違つた事実を認定するとともに恣意的な評価を加え、これを前記の比較衡量の基礎にし、しかも公訴提起のない事件や他の裁判所に係属している事件など、審判の対象となつていない事件について、犯罪が成立することを認めた上、その評価を行い本件と比較衡量をしたことである(以上の点につき、「第二上告理由」のうち、第三点二)。

第二 上告理由

第一点 憲法違反

原判決には、憲法一四条一項の解釈適用の誤りがある。

一 原判決には、制定法にのつとり適法かつ適式になされている検察官の本件公訴提起について、軽々に憲法一四条一項を適用して違憲判断をした誤りがある。

およそ、刑罰権の実現は、国家的な重要問題であるところから、我が国においては、まず国家機関としての検察官が公益の代表者として、犯罪をおかした者に対し訴追裁量を行つた上、公訴提起を行うという国家訴追主義、検察官による起訴独占主義及び起訴便宜主義(刑事訴訟法二四七条、二四八条、検察庁法四条)を採用している。この制度は、裁判官と同等の任命資格を有する検察官が独任制官庁としてその独立性を保持しながら、他面検事総長を頂点とする統一と斉合性を保つ組織体として活動することにより国の刑事政策を統一的に実現し、かつ、その反面、その権限行使については内閣の構成員である法務大臣の一般的監督に服することにより法務大臣が国会に対し責任を負う(憲法六六条三項参照)という性格を有するものであつて、国の刑事政策の適正な実現を図るために極めて合理的なものであり、行政・司法・立法の三権分立を基礎とする我が国の憲法秩序に最も適合するものであるということができる。

また、裁判所は、憲法上独立の機関として、それぞれの良心に従い独立してその職権を行い憲法及び法律にのみ拘束される裁判官(憲法七六条三項)によつて構成されており、検察官の公訴提起にかかる事件について、不告不理の原則に従いつつ、独立して裁判を行うことによつて国家刑罰権を適正に実現することを使命とするものであることはいうまでもないところである。

右のような権限と責務を有する検察官が統一的な国の刑事政策の実現を目指し、犯罪の嫌疑ある者につき、制定法にのつとり適法かつ適式に公訴提起をした場合には、裁判所が当該事件について実体裁判を行うことによつて国家刑罰権を適正に実現しなければならないことは、我が国の憲法下における現行法体制の下では当然のことである。

そこで、本件公訴についてみると、検察官において、被告人に犯罪の嫌疑があり、しかも、その事案の内容等にかんがみ起訴を猶予すべき事由がなく起訴相当と判断し、刑事訴訟法等の制定法にのつとつて適法かつ適式に公訴提起したものであつて、そこにはなんらの違法も存在しない。このように本件において、検察官が制定法にのつとつてその裁量権を行使し、公訴提起を適法かつ適式に行つている以上、もともと憲法判断の対象としてその公訴提起の合憲・違憲を論ずる余地はないはずである。

しかるに、このような制定法にのつとつて適法、適式になされた公訴提起について、安易にこれを憲法判断の対象とすることは、法的安定性を害し、憲法下の法秩序を混乱させるばかりでなく、三権分立を基礎とする現行憲法の理念にも反し、到底容認することができない。原判決が本件公訴につき、たやすく憲法一四条一項を適用し違憲の判断をしたことは、憲法全体の趣旨を勘案することなく同条項を解釈した結果であつて、原判決は、この点において憲法一四条一項の適用を誤つたものといわざるを得ない。

二 原判決には、憲法一四条一項の解釈を誤り、適用すべきでない本件公訴についてこれを適用した誤りがある。

1 原判決が同条項の法の下の平等保障の範囲を不当に拡大して本件に適用した誤りについて

憲法の本条項は、「人格の価値がすべての人間について平等であり、従つて人種、宗教、男女の性、職業、社会的身分等の差異にもとづいて、あるいは特権を有しあるいは特別に不利益な待遇を与えられてはならぬという大原則を示したものに外ならない」(昭和二五年一〇月一一日最高裁判所大法廷判決、刑集四巻一〇号二〇三七頁)のであり、また、「すべての国民が人種、信条、性別、社会的身分又は門地等の差異を理由として政治的、経済的又は社会的関係において法律上の差別的処遇を受けないことを明らかにして、法の下に平等であることを規定したもの」(昭和二三年一〇月六日最高裁判所大法廷判決、刑集二巻一一号一二七五頁)であつて、単に偏ぱ・不公平な差別的取扱いがなされたことのみで、同条項に違反するのではなく、人種、信条、性別、社会的身分又は門地等の差異を理由とし、あるいはその差異に基づいて差別的取扱いがされた場合に、はじめて同条項に違反すると解すべきであることはいうまでもない。

ところで、本件において、被告人は右にいういかなる事項の差異に基づき、あるいは、いかなる事項の差異を理由として差別されたというのであろうか。原判決が本条項をどのように解釈したのか明らかではないが、判文による限りでは、「被告人に対する訴追はいかにも偏頗、不公平であり、これを是認することは法的正義に著しく反する」(原判決書三九丁裏)、「法の下の平等に反する偏頗な公訴の提起」(前同一二丁表)とか、「法の下の平等保護条項を侵害する差別的な起訴」(前同三一丁表)といつた表現を用いて、偏ぱ・不公平な差別的起訴であることを強調するものの、それがいかなる事項の差異を理由とするものであるかという点については、なんら触れるところがない。したがつて、原判決は、この点を看過したか、あるいは無視したものと判断せざるをえない。

本件について強いてこの点を論議するとすれば、被告人が水俣病患者であることが社会的身分その他の差異に該当するか、しないかということであろう。しかし、水俣病患者であることが、社会における職業、業務、役職など広く人が社会で占めている地位もしくは身分、又は外国人の子孫であるなど出生によつて決定される社会的な地位もしくは身分に当たらないことは明白であるし、そのほか、被告人についてこのような地位又は身分に類する差異というべきものを見出すことはできない。したがつて、本件は、もともと同条項の適用の対象とすべき事案でないのに、原判決は、前記判例の趣旨にもとり、本条項の解釈を誤り、右の点を看過又は無視して、法の下の平等保障の範囲を不当に拡大し、同条項を本件に適用するという誤りをおかしたものであるといわざるをえない。

2 原判決が同条項の差別を明らかにするための比較衡量に関し、基本的な視点の誤りに基づく誤びゆうをおかしている点について

原判決は、一審判決と同様に検察官が公訴提起した五個の傷害の訴因について被告人の犯行を肯定している。したがつて、被告人に対し当然有罪の判断をなすべき筋合いのものであるのにかかわらず、原判決があえて実体裁判を拒否し、憲法一四条一項を根拠に訴追裁量の逸脱による公訴権濫用を理由として本件公訴を棄却したのは、憲法の同条項を適用したことが誤りであることはさておき、本件に対する基本的視点につき重大な方法上の誤りをおかしたことによるものである。すなわち、被告人の本件各犯行についての刑事責任の有無という問題と、チッソ株式会社の水俣病公害に関する法的・道義的責任、右公害をめぐる国の関係行政機関の行政責任、行政措置のあり方という問題とは、全く次元を異にする、しかも異質の二つの問題であつて、およそ法的評価の上で同一次元ないし同一平面で論ずることはできないのに、あえて右の二つの問題を刑事責任の有無を決する同一の手続のなかで、同一次元・同一平面でとらえるという基本的な誤りをおかし、その結果、いわゆる「差別」を明らかにするための比較衡量の方法等に関しても誤つた判断をしているのである。この点について、原判決は、差別起訴であるか否かを判断する根拠として、「憲法一四条一項の平等保護条項がこれに当たるが、何が合理的差別で何が不合理な差別なのかを解明する決め手となるのは、当然他との比較衡量である。同一事件に関与した被疑者の間にあつて、ある者は起訴され、他の者は不起訴ないし起訴猶予となつた場合のように、単に平面的に比較するのではなく、比較の対象が対向関係にあつて、平面的、微視的な観察では足りず、立体的、巨視的な観点に立つて比較衡量することを要する」(原判決書三二丁裏―三三丁表)と判示しているが、前述により明らかであるように、その「立体的、巨視的観点に立つた比較衡量」は、右の二つの問題を混同し、あえてこれを同一次元、同一平面でとらえるという誤りを糊塗するために用いられた表現にほかならない。

原判決は、このように法理論を無視した考察を行い、同条項の「差別」に関する解釈適用を誤つた結果、水俣病公害の被害者側に属する被告人は、公害の被害者であるから、多数回にわたり傷害の所為に及んでも、その目的が加害会社幹部との交渉のための面接要求に出たものである限り、刑事免責の特権を獲得し、他方、チッソ株式会社及びその子会社の従業員は、公害加害企業の従業員であるから、みずからは公害の醸成・発生につきなんらの責任も有しないにもかかわらず、ただ右各企業に雇用されているというだけの理由によつて、刑事法上保護の埓外に置かれ、結局、本件のごとき傷害の被害を受忍せざるを得ないという事態を法的に保証することになつたのである。かようなことを裁判をもつて宣明することは、個人の基本的人権を最大限に尊重しいかなる暴力をも否定するとともに、法の支配ないし法治主義を基本原理の一つとする我が憲法の理念・精神とも相容れないものであることは、多言を要しないところであり、更には、「目的のためには、手段を選ばない」という法無視ないしは軽視の弊風を醸成・助長するものといわざるをえないのである。

3 原判決が同条項の文理解釈を誤り、かつ、法理論を無視した比較衡量の方法をとつている点について

原判決のいう「立体的・巨視的な観点に立つた比較衡量」が本件に対する基本的視点の誤りに由来するものであることについては、前述したとおりであるが、仮に原判決の観点に立つて比較衡量した場合においても、原判決はその方法について次に掲げるように数多くの誤りをおかしている。

(一) 憲法の同条項について、その文理に従つて正確に解釈した上、これを本件に適用するとすれば、まず、(1)差別されたのはだれか(被差別の主体)、(2)いかなる点において、すなわち、具体的にはいかなる取扱いをされたことによつて差別されたとするか、(3)だれと比較して差別されたとするのか(比較さるべき対象の問題)、また、その対象の範囲をどの限度で考えるかなどの諸点を明確にしておかなければならない。本件についてこれをみると、(1)の被差別の主体は、審判の対象である被告人であるのは当然であり、(2)については、被告人が訴追されたことによつて他と差別されたものであり、(3)については、被告人以外の者であつて、差別的取扱いをされなかつた者、すなわち、訴追されなかつた者であるべきであり、しかも、被告人と比較するについて合理的な理由のある者でなければならない。

しかるに、原判決は、(1)の被差別の主体を本件の被告人に限定せず、「被害者側」「原判決書四一丁裏)という包括的な呼び方で、被告人以外の水俣者患者のみならず、抗議行動をした漁民等の支援者、さらには報道陣(原判決書三八丁裏)にまで拡大し、(3)の被告人と比較さるべき対象については、原判決はあえてこれを被告人と対向関係にあるものとし、しかも本来被告人と対向関係にある本件の被害者四名は全く影をひそめ、チッソ株式会社、同社幹部のみならず、水俣病公害の発生原因につきなんらの責任を有しないと認められる同社及びその子会社(チッソ石油化学株式会社五井工場)の従業員にまで拡張している。

原判決のいわゆる対向関係という観点に立てば、もともと比較されるべきは、被告人と水俣病公害の醸成・発生について責任を有し、かつ、被告人自身の行為に原因を与えたチッソ株式会社とするのが、最も論理的であると考えられるものであるが(もつとも、同会社は別事件で起訴されているので、前述の理由により被告人との差別はないことになる)、その双方をなんらか合理的・論理的理由もないのに不当に拡大し、被害者側とチッソ側という包括的な対向関係でとらえ、これを同一平面上に機械的に並列して、比較衡量するというまことに不合理かつ非論理的な方法をとつているのである。

(二) もともと、刑事司法の場において、差別的起訴であるか否かについて法的評価をするとすれば、その方法としては、被告人の行為と比較対象さるべき者との各行為につき、その刑事責任及び諸般の情状についてまでも比較衡量することによつて、被告人のそれが他に比して著しく軽微であると認められるのにかかわらず、被告人のみ訴追された場合にはじめて差別的起訴があつたとするのが、論理的な考察方法であるはずである。そして、このような法的評価をすることが可能であるためには、被告人の行為と比較さるべき対象者との行為が、少くとも同種・同質で比較の対象としてふさわしいものでなければならない。その意味で、同種他事件又は同一事件内における被疑者相互間であれば、それが憲法及び刑事訴訟法の予定する刑事司法の中での裁判の機能・役割を超えるものであることはさておき、理論上はある程度比較が可能であるかも知れない。

しかるに、原判決が本件で比較の対象となるべき者としてとりあげているチッソ株式会社、同会社及びその子会社の従業員等の行為は、被告人自身の行為とは、まつたく異質のものであつて、比較衡量のための法的評価をなしえないことはいうまでもないところである。かように、原判決のいう比較衡量の方法についても誤りがあり、到底刑事司法の場において合理的な法的評価をなしうるものではないのである。この意味でも、原判決は、憲法一四条一項にいう「差別」の解釈適用を誤つたものとしなければならない。

第二点 判例違反

原判決は、憲法一四条一項に違反する差別的起訴は検察官の訴追裁量を著しく逸脱するものとして刑事訴訟法二四八条に違反し無効であるから、同法三三八条四号により公訴棄却の判決がなされるべきであると判示しているものと解されるが、本件訴追が憲法一四条一項に違反するとする判旨が誤つていることは既に述べたとおりであつて、原判決はその立論の前提を欠いているというほかはない。のみならず、いわゆる差別的起訴の問題は憲法一四条に違反するものとして論ずべきものではないとし、あるいは憲法や法律に違反するような訴追裁量権の濫用があつても公訴提起を無効ならしめることはないとするのが、次に掲げるとおり一貫した判例の趣旨とするところであつて、原判決の前記判断は、これらの判例に反することは明白である。

一 最高裁判所判例について

1 昭和二六年九月一四日最高裁判所第二小法廷判決(刑集五巻一〇号一九三三頁)は、多数同一の価格で売買した食肉業者のうち、特に、被告人等数名だけを処罰することは法の下の平等を規定した憲法に違反する旨の上告趣意に対し「犯情の類似した被告人間の処罰の差異が憲法一四条に違反しないことは当裁判所の判例(昭和二三年(れ)第四三五号同年一〇月六日大法廷判決)とするところであつて、この趣旨は、他の多数の違反者が検挙されず或いは起訴されなかつた場合に被告人等のみが起訴処罰された場合にも推し及ぼされるものである。したがつて論旨のようにたとえ他の違反業者が検挙処罰されなかつたような事情があつたとしても、いやしくも起訴公判に附されてこれが審理の結果被告人らを有罪とした原判決を目して憲法第一四条に違反するものと論ずることはできない。」旨判示しており、これと全く同旨の最高裁判所の判例として、昭和二九年六月二二日第三小法廷判決(昭和二八年(あ)三二一号裁判集九六号三九七頁)、昭和三四年三月二七日第二小法廷判決(昭和三三年(あ)二四三七号裁判集一二九号四五五頁)をあげることができる。

これらの判例が犯情の類似した多数の違反者の一部が起訴された場合でも、いやしくも起訴された以上、それに基づいて有罪とした判決を憲法一四条に違反するものと論ずることはできないとしているのは、起訴された以上は、その訴追が憲法一四条に違反するかどうかを問題とせずに実体審判をなすべきであることを判示したものと解することができる。

この判決が右のような結論を導き出した根拠は必ずしも明らかでないが、次に掲げる最高裁判所の判例をも考え合わせると検察官の極めて広範な訴追裁量権の存在がその重要な根拠となつているものと解して誤りはないであろう。

すなわち、昭和四四年一二月五日最高裁判所第二小法廷判決(刑集二三巻一二号一五八三頁)は、「仮りに捜査手続に違法があるとしてもそれが必ずしも公訴提起の効力を当然に失わせるものでないことは、検察官の極めて広範な裁量にかかる公訴提起の性質にかんがみ明らかである」旨判示し、違法な捜査に基づく訴追であつてさえ、検察官の訴追裁量権を根拠に、それが当然に効力を失うものではないことを明らかにしているのである。

2 昭和二四年一二月一〇日最高裁判所第二小法廷判決(刑集三巻一二号一九三三頁)は、憲法で保障されている労働基本権である労働者の争議権を蹂躪する意図の下になされた公訴の提起であつて公訴権の濫用であるとの上告趣意に対し、「本件公訴提起の手続が、その規定に違反してなされた点は認められないうえ、たとえ、本件公訴の提起について、検察官に所論のような意図があつたと仮定しても、公訴提起の手続が適法に行われている以上、裁判所としては、その公訴を不適法として排斥することはできない。」

旨判示している。

右判決の上告趣意が主張するように、仮に検察官が労働者の争議権を蹂躪する意図の下に訴追したとすれば、それは、憲法の保障する労働基本権を侵害する意図に出る訴追裁量の著しい濫用として、当該訴追を違法、無効と解する余地もないではないが、右判決があえて憲法に違反するような訴追裁量の濫用によるものであつても、公訴提起の手続が適法に行われている以上、公訴を不適法として排斥し得ない旨判示しているところから考えると、訴追裁量の逸脱ないし濫用の有無はすべて公訴提起の効力それ自体には影響を及ぼさない旨を明らかにしたものと解することができる。

二 高等裁判所判例について

次に高等裁判所の判例をみると、

1 いわゆる差別的起訴の問題につき判示したものとして、

(一) 昭和四六年一月一八日仙台高等裁判所第一刑事部判決(昭和四三年(う)第三三二号判例集不登載・判例時報六三四号九五頁)は

「公訴の提起について、労働運動に対する弾圧的意図があつたとしても、憲法一四条の法の下の平等に違反するものとは解し得ないばかりでなく、公訴の提起が手続上適式になされている以上、裁判所としては、右意図を不当としてその実体審理を拒むことはできないものといわなければならない。」

旨判示し、

(二) 東京高等裁判所第九刑事部昭和三七年二月二六日判決(昭和三六年(う)六四五号、判例集不登載)は

「刑事訴訟法第二四八条の規定する所に従い、公訴を提起しないことを相当とする案件について公訴を提起したとすれば、検察官は公益の代表者としての職務の執行に適正を欠くものがあつたというべきであり、その意味において刑事政策的見地からの非難をうけることであろうが、そのことの故に、該公訴の提起が法律上無効であると断ずべきいわれがない。このような公訴の提起であつても、それが手続規定に従い適式になされている限り、法律上は常に有効である。」とした上、原審が「本件公訴の提起が不公平だとか、検察官の職権濫用にかかるものだとか、いうがごときことを審査することなく、『いわゆる弾劾式訴訟をとるわが国刑事訴訟制度の基本構造全般からみて、いやしくも、公訴提起の手続が適法になされているかぎり、仮りに、それが所論のごとく不公平かつ濫用にわたり実質的に違法なものであつても、裁判所はこれをたやすく不適法として排斥することは許されないと解すべきである』との理由をもつて、弁護人の本件公訴棄却の申立がその主張自体に徴し理由がないと判断したとて、いささかも、所論のごとき攻撃に値するわけはない。」

旨判示し、

(三) 昭和三八年一二月二四日同裁判所第八刑事部判決(昭和三八年(う)六三〇号、判例集不登載)は

「所論は、起訴・不起訴についての検察官の裁量の当否を云為するを出でず、右裁量の当否は、それ自体公訴提起の効力とは別個の問題に属し、裁判所は、公訴の受理に当り、起訴が不当偏頗であるか否かを調査すべきものでないことはいうまでもなく、また公訴の受理後起訴が不当偏頗であることを理由として公訴を棄却すべきものでないことも訴訟法上明らかであり、且つ、記録を精査しても、本件公訴提起の手続がその規定に反したため無効であると認むべき廉は存しない」

旨判示し、

(四) 昭和五二年八月一日同裁判所第一刑事部判決(昭和四七年(う)二三二一号・判例不登載)は

「記録を調査し、当審における事実取調の結果を綜合しても、本件公訴の提起が、検察官においてその裁量の範囲をいちじるしく逸脱したものとは認められないのみならず、起訴・不起訴に関する検察官の裁量の当否は、それ自体公訴提起の効力の有無とは別個の問題に属するから、裁判所は、公訴の提起が不均衡な裁定によつてなされたことその他所論の指摘するような理由によつて、公訴を棄却することはできないものというべきである。」

旨判示し、

(五) 昭和四八年六月一四日広島高等裁判所刑事第四部判決(刑裁月報五巻六号一〇一八頁)は

「検察官が行う解散電報に関する同種事犯の事件処理について、もし所論のような不公平があるとするならば、いやしくも公益の代表者たる検察官としてその裁量において適正を欠くものがあつたというべきで、検察行政の運用上非難を受ける余地はあるとしても、そのことのために本件公訴提起の手続が無効とされるべきいわれは存しない。すなわち、右裁量の当否は、公訴提起の効力とは別個の問題に属し、裁判所は公訴の受理に当たり、起訴が不当偏頗であるか否かを調査するものでないことはいうまでもなく、また公訴の受理後、起訴が不当偏頗であることを理由として公訴を棄却すべきものでないことも訴訟法上明らかである。」

旨判示している。

2 憲法に違反するような訴追裁量の濫用の効果につき判示したものとしては、前出1の(一)の判決のほか

(一) 昭和四八年三月二九日福岡高等裁判所第一刑事部判決(昭和四六年(う)三六九号、判例集不登載)は、公訴の提起が組合弾圧の意図に基づくもので公訴権濫用であるとの控訴趣意に対し「公訴の提起が適式になされ手続法規に違反するものでない以上、裁判所は検察官の意図を問題にして公訴を不適法として排斥することはできないものである」

旨判示し、

(二) 昭和四五年一一月三〇日仙台高等裁判所第一刑事部判決(昭和四三年(う)一八八号判例集不登載)は、本件訴追は朝総連幹部である被告人と朝総連に対する弾圧の意図に基づく起訴であつて被告人の義母に対する傷害事件につき加害者(本件被害者)を起訴しなかつたことからみても本件は公訴権の濫用である旨の控訴趣意に対し「検察官のなす公訴の提起は、検察官が裁判所に対して実体的審判を求める訴訟法上の行為にほかならず、起訴・不起訴について法律が検察官に広大な裁量権を与えている趣旨にかんがみると、裁判所がその起訴の意図ないし裁量の当否を審査し、その不当を取り上げて右の実体的審判を拒否することはもとより法の予想するところでないといわなければならない。したがつて右起訴の意図ないし裁量の不当はただちに公訴提起の効力を否定するものでなくその手続が規定にしたがつて適式になされている限り有効であり、裁判所はその実体について審判すべき義務があるものといわなければならない。」

旨判示している。

三 原判決の判断が右の判例の判断と相反することについて

このようにみてくると、右二に掲げた高等裁判所の判例は、前記一に掲げる最高裁判所の判例と同趣旨であるか、更にこれを布えんしたものであつて、これらの判例の趣旨とするところは、検察官の広範な訴追裁量権にかんがみると、いわゆる差別起訴の問題は、裁判所の調査の対象とならず、あるいはこれにつき、憲法一四条違反を論ずべきではなく、また、それを理由に公訴権の濫用として公訴の提起を無効たらしめるものではないこと、更に進んでは憲法や法律に違反するような実質的に違法な訴追であつても、そのことによつて、直ちに公訴提起自体が効力を失うことはないことを明らかにするところにあつたといえる。そうとすれば原判決が本件訴追につき、それがいわゆる差別的起訴に当たるかどうかを調査した上憲法一四条一項に違反する公訴権の濫用があると判断し、更に進んで憲法に違反するような訴追は、直ちに公訴提起の効力を失わせるものと速断したことは、前記の最高裁判所ないし高等裁判所の判例に違反する判断を示したものというべきである。

しかも、後に述べるように、本件の訴追は、検察官の訴追裁量権の範囲内にあることは明白であつて、これにつき訴追裁量の当否を審判した原判決が、これらの判例の趣旨に背反することは、一点の疑いもないところである。

第三点 法令違反

原判決には、次に述べるような判決に影響を及ぼすべき法令違反があり、これを破棄しなければ著しく正義に反すると認められる。

一 原判決には、刑事訴訟法二四七条、二四八条及び三三八条四号の解釈適用を誤つた法令違反がある。

原判決は、本件公訴は、刑事訴訟法二四八条の訴追裁量を著しく逸脱した無効なものであるから、刑事訴訟法三三八条四号により公訴を棄却すべきものとした。しかしながら、

1 検察官の公訴の提起は、裁判所に対し事件の実体的審理及び有罪の判決を求める、公益の代表者としての検察官による国家的意思表示と解すべきところ、刑事訴訟法三三八条四号は「公訴提起の手続がその規定に違反したため無効であるとき」、すなわち、例えば、検察官でない者が公訴提起をした場合のように、公訴提起がその手続規定に違反したために無効であつて、その形式的訴訟条件を欠くときは、これにつき実体審理及び裁判をする余地がないから、形式裁判としての公訴棄却の判決をして一応訴訟を終結する途を開いたものと解されている。したがつて、その判決には一事不再理の効果は発生せず、検察官は適式な手続にのつとり同一事実につき再び公訴を提起し実体裁判を求めることができるとされている。

そこで、本件につきこれをみると、本件公訴は、犯罪の嫌疑の十分な被告人(事実、第一審及び原審判決は、いずれも被告人に対し公訴犯罪事実の存在を肯認している。)に対し、法律の定める手続規定に従つて適式に提起されているのであつて、形式的訴訟条件の欠缺を認めるべきなんらの事由も存しない。

しかるに、原判決は、本件公訴が刑事訴訟法二四八条の訴追裁量を著しく逸脱したことを理由に、同法三三八条四号に該当すると解している。このような事由は、理論上の問題として仮りにその存在が認められるとしても、「公訴提起の手続がその規定に違反した」場合に当たらないことは、同条同号の文言自体からみて明らかであるばかりでなく、同号がその効果として形式裁判である公訴棄却の判決をすべきものとしていることをも勘案すると一層明らかとなる。この点において、原判決は、既に、刑事訴訟法三三八条四号の解釈適用を誤つていることはいうまでもない。

2 これを実質的にみても、まず、原判決が本件公訴につきたやすく憲法判断を行い、これを差別的起訴として憲法一四条一項に違反し無効であると判断したことは、前記第一点憲法違反の項で指摘したとおり、三権分立を基礎とする憲法の下における刑事訴訟の基本構造の一つである、検察官の専権としての訴追権(刑事訴訟法二四七条)及び訴追裁量権(同二四八条)をはなはだしく軽視し、明文の規定がないのにかかわらず、実質的には原裁判所自ら訴追の要否、当不当を決定するに等しい機能を果たしたものというべく、このことは、前記第二点判例違反で援用した判例が検察官の広範な訴追裁量権を重視し、いわゆる差別起訴の問題は裁判所の調査の対象とはならないとする立場をとつているのとは対照的なものであつて、この点において、原判決は、既に刑事訴訟法二四七条及び二四八条の解釈を誤つたものというほかはない。

3 次に、原判決は、本件公訴は刑事訴訟法二四八条の訴追裁量を著しく逸脱したものと判断しているが、同条は、訴追権を持つ検察官が同条に規定する各事項を総合判断して、国家の統一的な刑事政策を有効適正に実現する観点から相当と認める場合には、起訴を猶予する裁量権をもつことを明文をもつて明らかにした規定であつて、原判決がとりあげているような、公訴提起が差別起訴として憲法一四条に違反するかどうかという問題は、もともと刑事訴訟法二四八条の直接関知しないところである。いわゆる差別起訴の問題を同条の訴追裁量を著しく逸脱したものとしてとり扱つた原判決は、この点においても同条の解釈適用を誤つているものというべきである。のみならず、仮りに、差別起訴を同条に関連づけるとすれば、同条に掲げる各事項との関連においてこれをとりあげなければならないことは、自明の理であるから、同条による裁量権の逸脱を論ずるには、当然に同条に規定する各事項を詳密に審査し、これを総合判断した上で、しかも国家の刑事政策の適正な実現という観点を踏まえて、適正な裁量権の行使はいかにあるべきかを見きわめることが必要となるが、既に論じたとおり、原裁判所がそのような審査判断をすることは、憲法及び刑事訴訟法が予定する刑事司法の中での裁判所の機能・役割を超えることから、法的にみて誤りであるばかりでなく、実際上も殆んど不可能なことというべきである。さればこそ、現に、原判決は、同条の裁量の逸脱を論ずるに当たつて、次に述べるように、同条に規定する各事項を殆んど顧慮することなく、その独自の基準によつているのである。このように、原判決は同条の裁量を逸脱したと判断するに当たつても、同条の解釈、適用を明らかに誤つているといわなければならない。

4 更に、理論上の問題として裁判所が刑事訴訟法二四八条による訴追裁量の当否を審査判断し得るものと仮定すれば、同条所定の各事項を基準にして諸般の事情を総合的に評価・判断しなければならないことは右に述べたとおりである。ところで、当然のことながら、同条規定の各事項のうち、最も重視さるべきは、「犯罪の軽重及び情状」であるが、原判決はこの点を著しく軽視しこれを過小に評価している。すなわち、原判決の認定事実によれば、被告人は、前後五回にわたつて、チッソ株式会社社員及び子会社の従業員四名に対し、手拳で殴打し、咬みつき、えり首をつかまえて壁に打ちつけ、副木で殴打するなどの暴行を加え、同人らに加療一週間ないし二週間の各傷害を負わせたものであり、しかもこれらの被害者らは水俣病の発生原因についてはなんらの責任もなく、被告人の行為を甘受しなければならぬ理由もないのであるから、被告人の動機・目的等を考慮しても、被告人の犯行は到底軽微なものであるといいえないのにかかわらず、原判決は、この点について「被害者の傷は日常生活において看過しうる程度のものでなく暴行の態様も顔を殴つたり、腕に咬みつくなど身体に対する直接の攻撃であつて、軽視し難い面を有していることは確かであり、チツソの従業員であるからといつて被害者らがこれらを甘受しなければならない理由はない」(原判決書三八丁表)と判示し、犯行それ自体が軽視し難い面を有しているとは評価しているものの、これに続いて、「しかしながら、これらの暴行は、補償の手がかりをつかもうとして必死に面会を要求する者とこれを阻止しようとした者の間で生じた出来事であつて、個人的に被害者に遺根をもつて行つたものではない。被告人の行為を、水俣病に苦しむ多くの患者、とりわけ物言わぬあるいは物言えぬ患者の抗議であると思えば、被告人に対する感情の何程かは減じるのではあるまいか。」(原判決書三八丁裏)と判示したにとどまり、却つて前記第一点憲法違反二2及び3で詳述したとおり、原判決は、本件犯行の背景的事情についての、いわゆる「立体的、巨視的観点」のみを偏重し、本件公訴を差別的起訴として刑事訴訟法二四八条の訴追裁量を著しく逸脱したものと評価判断しているのであつて、同条に規定する「犯罪の軽重及び情状」という基準を甚しく軽視した独自の基準を用い、本件犯行の実質的違法性及び被告人の刑責を過小に評価した点においても、同条の解釈適用を誤つたものといわなければならない。

なお、仮に近時一部の学説・裁判例で採用されている超法規的違法性阻却の理論とか可罰的違法性論を肯定する立場を前提にして被告人の本件犯行を考察しても、それは到底、違法性を欠如するものとはいえないし、また、期待可能性など有責性の面においても間然するところはない。それにもかかわらず、原判決は、執行猶予付きの罰金刑を言い渡した一審判決に対し、「被告人の有罪を認定しつつもその可罰性の程度が著しく微弱であり、刑はノミナルなものにとどめるべきものとしたと考えられる」との評価を加えた上、「当裁判所は、百尺竿頭一歩を進め、本件は公訴を棄却することによつて結着をつけるべきものと判断する」と断じた。これは、刑法上の違法性の有無の問題とその程度(強弱)の問題とを混同する(昭和四九年一一月六日最高裁判所大法廷判決・刑集二八巻九号三九三頁、同年同月同日同法廷判決・刑集二八巻九号七四三頁参照)とともに、被告人の本件犯行の違法性を過小評価した点において、二重の誤りをおかしたものであるばかりでなく、違法性ないし有責性の程度という実体法上の問題を、あえて訴訟条件ないし訴訟障害といつた手続法上の事由に転化させるの暴挙に出たものと評価するほかはない。このことは、刑事訴訟法二四八条が訴追を猶予する場合の基準としてだけでなく、実際上裁判所の量刑のための指針としての機能を果たしていることからも裏づけられるところであつて、原判決が同条の訴追裁量の逸脱を理由に同法三三八条四号による公訴棄却の判決をしたことは、この点においても、同条同号の適用を誤つたものである。

二 原判決には、審判の対象となつていない他事件について事実上審判し、しかも適法な証拠調を経ない証拠により事実を認定し、あるいは証拠によらない事実を認定・評価し、憲法一四条一項に違反する差別起訴であるとする判断の前提となる事実を誤認した法令違反がある。

1 原判決には、審判の対象となつていない他事件について事実上審判した違法がある。

本来、我が憲法の下での司法作用は、訴又は公訴の提起により争訟の対象となつた事件についてのみ審判し得るという一般的限定を有するものと解され、現行刑事訴訟法においても、公訴の提起により裁判所の審判の対象、範囲等が限定され、裁判所は公訴の提起のない事件について審判することができないこととされている。(同法三七八条三項参照)。しかるに、原判決は、公訴提起のない事件や他の裁判所に係属している事件など審判の対象となつていない事件と、審判の対象である本件とを比較衡量し、本件公訴が訴追裁量の逸脱に当たると判断しているのであつて、既に論じたように、このような判断自体が許されないことはさておき、このことは、審判の対象となつていない他事件について犯罪が成立することを是認した上、その評価を行つているものと解せざるをえない。

すなわち、原判決は

(一) 水産資源保護法等の取締法令違反として「加害者(チッソ株式会社)を処罰することができたであろうと考えられる」いわゆる水俣病事件について、「何んらそのような措置に出た事績がみとめられないのは、まことに残念であり、行政・検察の怠慢として非難されてもやむを得ない」(原判決書三五丁表)

(二) チッソ幹部に対する業務上過失致死傷罪による起訴事件について、「昭和三三年七月から昭和三五年八月ころまで工場廃液を排出した行為が過失の内容となつているのであるから当時速やかにこのような起訴がなされ、あるいは、これを前提とした捜査がなされていたなら、その後一〇年に近い排出とこれにともなう水銀汚染が防げていたであろうことを考えると時期を失した検察権の発動が惜しまれるのである。」(原判決書三五丁裏)

(三) 自主交渉の過程で生じたトラブルのうち、とりわけ五井工場事件については、「面会の約束をとりつけて赴いた被告人や報道陣に対し、多数の従業員が有無を言わず力を振つたという非常識なもので、当時各方面から非難が寄せられたことは周知のとおりである。そして、この事件については不起訴処分がなされ、結局、これらを通じて訴追されたのは患者側だけであつた」(原判決書三八丁裏、三九丁、四一丁裏)

旨判示している。

右判文の趣旨から明らかなように、(一)においては、チッソ株式会社に刑事責任のあることを認めた上、検察の不訴追等を非難し、(二)においては、業務上過失致死傷事件につきチッソ株式会社幹部に過失責任のあることを認めた上、検察官の捜査及び起訴の遅滞を非難し、(三)においては、チッソ石油化学株式会社五井工場の従業員に暴行罪等が成立することを認めた上、検察官の不起訴処分を非難している。したがつて、原判決は、(一)の検察官による処分もなされていない事案につき、(二)の他の裁判所に現に係属審理中の事件につき、(三)の検察官において不起訴処分に付した事件等につき、これを認定する証拠があるかないかは別として、それぞれ各犯罪の成立を認め、これを前提に検察権の行使等について非難しているのである。起訴されていない犯罪事実を認定することは、それが量刑の資料として考慮するためであつても不告不理の原則に反し違憲であるとされているのであるから(昭和四二年七月五日最高裁判所大法廷判決 刑集二一巻六号七四八頁)、原判決が本件と比較衡量するために起訴されていない他事件の犯罪事実を認定することは、同様に不告不理の原則に反し違憲の疑いがあり、違憲でないとしても、刑事訴訟法三七八条三号の趣旨に違背することは明らかである。

2 原判決には、適法な証拠調を経ない証拠により事実を認定し、あるいは、証拠によらないで事実を認定・評価した違法がある。

仮に訴追裁量の当否を裁判所が審査しうるとし、しかもその比較衡量のため他の諸事実を認定し得るとしても、その審査の基礎となる事実は、厳格な証明により認定されたものでなければならない。元来、訴訟条件に関する事実の認定は、一般的には自由な証明で足りるとされている。しかし、訴追裁量の当否の審査は、形式的な訴訟条件の存否を審査するのではなく、事件の実体に立ち入つて訴追機関の専権に属する訴追の効力を否定するという性格を持ち、無罪の裁判と同様な実質的効果をもたらすものであるから、その基礎となる事実の認定は、自由な証明では足りず、その立証は厳格な証明を要し、伝聞証拠禁止・直接審理主義の原則にのつとつた審理が行われる必要があると解すべきである。したがつて、右審査が差別的起訴を理由とするときも同様であり、しかもその場合には、本案事件と他事件との比較を行うこととなるから、他事件の犯罪事実のみならず、それら事件の訴追・不訴追の当否を審査するために必要な諸般の事情についての判断・評価もまた、厳格な証明に基づく事実を基礎として行わなければならないのは当然である。

しかるに、原判決は、チッソ水俣病の原因究明、チッソ側に対する法的責任の追求、チッソ従業員による暴行・傷害事件に対する法的責任の追求、本件訴追が被告人やチッソあるいは社会に与えた影響、本件公訴提起についての検察官の故意又は重大な過失等に関し、次に述べるように、厳格な証明によらないで、自由な証明に基づき、しかも断片的な証拠により、誤つた事実を認定した上、これに恣意的な評価を加え、これらを基礎として本件訴追裁量の当否を判断しているのであつて、適法な証拠調を経ない証拠によつて事実を認定し、あるいは刑事訴訟法三一七条に違反し証拠によらないで事実を認定・評価しているのである。

その主なものを指摘すると次のとおりである。

(一) チッソ株式会社による廃液の排出行為を特別法違反により訴追せず、かつ、右排出による業務上過失致死傷事件の訴追が遅れたことを非難している判示(原判決書三四丁裏、三五丁、四一丁裏)について。

原判決は、チッソ株式会社につき水産資源保護法、同法に基づく熊本県漁業調整規則等の特別法違反の刑事責任があることを認定した上、検察の不訴追等を非難し、また、チッソ株式会社幹部につき業務上過失致死傷罪の刑事責任があることを認定した上、昭和三三年ないし三五年当時、その訴追がなされなかつたことを非難しているが、原裁判所は、チッソ株式会社幹部等に反論の機会を与えたり、反証を挙げさせることをせず、証拠書類についても厳格な証拠調を行わないなど、適正手続を無視し、しかも、断片的な証拠に基づいて前記刑事責任を認定しているのである。その上、同会社関係者らの特別法違反の刑事責任を問い得るのは、原判決の掲げる法令のうち、前述の熊本県漁業調整規則のみであり、同規則違反の罪を認定するためには、同会社からの排水が「水産動植物の繁殖保護に有害」(同規則三二条一項、五八条一項一号参照)であることが証明されなければならないが、昭和三三年ないし三五年当時においてこれを証明するに足る資料があつたことを認定しうる証拠は見当たらない。すなわち、原判決の掲げる技師三好礼治の復命書(原判決書一四丁、控訴審記録4八三四丁以下)や、技師内藤大介の復命書(原判決書一五丁、控訴審記録4八四一丁以下)は右排水と魚介類の被害との間の因果関係を科学的に明確にしたものではなく、しかも、前記復命書が存在することを当時の捜査機関が知つていたとの証拠もないのに、原判決は、その因果関係が証明し得ると独断し、警察及び検察の態度や不訴追について非難しているのである。

また、同会社幹部らに対する業務上過失致死傷事件については、前同様に、同人らに反論の機会を与えないまま、厳格な証明によらず、しかも断片的な証拠によつてその刑事責任を認定している。すなわち、原判決が昭和三三年ないし三五年当時業務上過失致死傷事件により訴追し得たと判断したのは、「水俣病究明の過程」と題し、(2)ないし(13)に判示している事実関係(原判決書一四丁より一八丁まで)を前提として、吉岡喜一ほか一名に対する昭和五一年五月四日付起訴状、検察官の冒頭陳述書及び証拠申請書の内容を根拠にしていると認められ(原判決書一八丁)。しかしながら、右(2)ないし(13)は、昭和三一年一一月から昭和四三年九月にかけて、水俣病と同会社水俣工場の廃液との因果関係等に関する研究発表がなされ、また、関係行政機関から通達等が出された事実が証拠によつて認定されているに過ぎず、その内容の真実性については、別個に証明を要するのにかかわらず、これに関してはなんらの証拠調べもされていない。右の因果関係の存在は、検察官の不同意にもかかわらず証拠調べされた新聞、雑誌等によつても、これを認定し得るはずはなく、起訴状・冒頭陳述書等が、その証拠となりえないことも当然である。更に、右事件につき検察官の起訴にかかる公訴事実は、右(2)ないし(8)に記載されている研究発表等があつたのに、同事件の被告人らがなんらの注意もせず、これを無視して排出を続けた点に過失があるとしているに過ぎないのに、原判決は、右(2)ないし(8)の事実のあることをもつて、直ちに、右因果関係が当時においても判明していたものであると速断して、短絡的にそのころチッソ株式会社幹部を起訴し得たはずである旨判示している(原判決書一八丁裏、三五丁裏)のであつて、正に牽強付会の独断であるといわざるをえない。なお、昭和三三年ないし三五年当時、同会社水俣工場の排水と水俣病との因果関係については、原判決の引用する昭和三三年七月七日付公衆衛生局長の熊本県知事宛通達によると、これを「推定する。」と述べて、続いて「工場排棄物が魚介類に移行し有毒化する経路又は機序については今後の綜合的研究にまたねばならない。」としているのであつて(控訴審記録4八四五丁裏、八四六丁)、これのみをもつてしては、到底刑事法上の因果関係を認定することはできない。

(二) 自主交渉の過程で生じたチッソ従業員による暴行・傷害事件が全部不訴追であるのに、患者側だけが訴追されているのは不平等である旨の判旨(原判決書三八丁裏、三九丁)について

自主交渉の過程で生じたチッソ従業員による暴行・傷害事件で訴追された者がないこと、患者側では被告人及び蘭康則が訴追されたことは判示のとおりである。しかし、この点に関する訴追裁量の当否を考察するためには、その前提としてチッソ従業員による暴行・傷害事件の訴追が可能であつたかどうかが検討されなければならない。一審判決も判示するように、患者側は告訴・告発の手続をとらなかつたことはもとより、捜査に協力しなかつたため、捜査機関において、証拠を収集しえず、したがつて具体的な事案の内容を証拠によつて明らかにすることも、訴追することも事実上不可能であだつた。しかるに、原判決は、その点についてなんら考慮せず、チッソ従業員の暴行・傷害事件につき、起訴するに足る証拠があつたのに訴追しなかつたものと速断した上、「片方は全然訴追されていないという事実は、もう一方の訴追にあたつて当然考慮さるべき事情であると考える」(原判決書三八丁裏、三九丁)、として、検察官の処分が不平等であると判断しているのであつて、証拠によらないで事実を認定・評価したものといわざるをえない。また、原判決は、被告人の供述、被害者であるユージン・スミスの妻アイリーン・スミスの供述及び検察官の不同意にもかかわらず証拠調べがなされた新聞記事のみを証拠とし、かつ、右チッソ従業員の取調べもしないで、「従業員側が一方的に約束を破り、患者らに対し非常識な力を行使し、その結果各方面から非難が寄せられた」(原判決書三九丁)旨判示しているのであつて、原判決が適法な証拠調べを経ない証拠により事実を認定し、かつ、証拠によらないで事実を認定・評価していることは明らかである。

(三) 本件起訴が当事者の一方に、加担する結果をもたらしたとの判示(原判決書四二丁)について

原判決は、「本件起訴が自主交渉派の患者に少からぬ打撃を与え、意図するとしないとに拘わらず当事者の一方に加担する結果をもたらし」(原判決書三七丁)、「国家が加害者に加担するという誤りをおかすものである」(同四二丁)旨判示しているが、いかなる証拠によつてそのように認定したものであるかは明らかでない。

原判決も認定するように、本件起訴の当日、被告人が環境庁長官を訪ねてチッソとの交渉再開を要請し、一方訴訟派、自主交渉派の患者等が水俣に来ていた公調委の委員に民事判決前の調停等の提示をひかえるよう申し入れるなど、被告人及び自主交渉派の患者が活発に動き、翌昭和四八年三月二〇日の熊本地方裁判所における民事判決後、訴訟派と自主交渉派の患者が中心となつて水俣病患者東京交渉団がつくられ、チッソ本社内での座り込み等により、同年七月九日チッソとの間で協定が結ばれるに至り、全患者の判決なみの補償等が約束された(原判決書二五丁)事実等に徴すると、本件起訴が、自主交渉派に不当な打撃を与え、会社に加担したことになつたとは、到底認めることができないのであつて、原判決の判断は、前後矛盾しているばかりでなく、なんらの証拠にもよらない独断に過ぎない。

(四) 検察官の故意又は重大な過失の認定について

なお、原判決は、「公訴権濫用の主観的な要件として検察官の故意又は重大な過失が必要であるが、客観的外部的事実に照らし、公訴提起の偏ぱ性が合理的裁量基準を超え、しかもその程度が憲法上の平等の原則に抵触する程度に達していると判断される場合には、事実上の推定に基づき、検察官の故意又は重大な過失の存在が証明されたといつて妨げない」としているが、仮に訴追裁量の当否を裁判所において審査し得るとしても、公訴権濫用の主観的要件として検察官の故意又は重大な過失が必要であると解する以上、その存否の認定には厳格な証明を要することは前述の理由により明らかであつて、原判決が右に指摘した事実のみから事実上の推定に基づきその存在が証明されるとするのは、はなはだしい暴論というほかはない。しかも、原判決は「チッソの責任につき国家機関による追求の懈怠と遅延、これにひきかえ、被害者側の比較的軽微な刑事責任追及の迅速さそれに加えてチッソ従業員の行為に対する不起訴処分等等の諸事実がある以上、当裁判所としては、国家機関の一翼を担つている検察官の故意又は重大な過失が推認されてもやむを得ないと判断」(原判決書四一丁裏)しているのであるが、原判決の右に掲げる諸事実は、前述したところによつて明らかであるように、原判決が断片的な証拠によつて推測・速断したもので、右判断が誤つていることについては多言を要しないところである。

このように、原判決には、訴追裁量の当否を審査するための前提となる諸事実について、適法な証拠調を経ない証拠により事実を認定し、あるいは証拠によらないで事実を認定・評価した法令違背があり、また、原判決は、これらの違法な手続により認定し、あるいは誤つて認定した事実を前提として、本件公訴を偏ぱ・不公平な、憲法一四条一項に違反する差別起訴であるとの誤つた解釈を導き出しているのであつて、この点からも原判決は到底破棄を免れないものである。

第三 結論

以上申し述べたとおり、被告人の本件犯行自体は決して軽微なものではなく、むしろ悪質であると認められるのであつて、どのような動機、目的その他被告人側の背景事情があるにせよ、その処罰は免れえないところである。しかるに、原判決は、水俣病公害の現象面やこれをめぐる社会的諸事情に目を奪われ、刑事司法における正しい考察や冷静な判断を見失つた結果、本件につき公訴権濫用ありとの結論を先取りした上、ことさらに牽強付会の理由付けをして、あえて実体裁判を拒否して公訴を棄却し被告人にいわれなき免責の特権を与えたのである。しかも、右結論を導き出す過程において、以上指摘したとおり、憲法その他法令の解釈適用につき幾多の誤りをおかし、判例に違反し、更には前提となる事実の認定・評価等においても恣意的に独断に走るなど、原判決は到底容認しえないものである。

すなわち、原判決は、憲法一四条一項の解釈適用を誤り、最高裁判所ないし高等裁判所の判例と相反する判断をしているのみならず、判決に影響を及ぼすべき法令の違反があり原判決を破棄しなければ著しく正義に反すると認められるので、刑事訴訟法四〇五条各号、四一〇条一項及び四一一条一号により原判決を破棄すべきものと思料し、上告に及んだ次第である。

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